鍼灸学校入学前課題図書!『鍼灸師のタマゴに贈る養心のすすめ-健康と心技体』』付録対談②
21世紀の日本で鍼灸師をめざす人のための徹底ガイド
―不都合な真実に向き合うことから始まる鍼灸師ライフ
★新人鍼灸師を相手に宮川先生が語る鍼灸業界の真実と鍼灸師をめざす人に知っておいてほしい現実に役立つ心得!
●目次
・この対談について
・現状の鍼灸業界ー伝統鍼灸? 中医鍼灸? 現代鍼灸? 流派って何?
・「鍼灸術」と「鍼灸学」ー学生が学ぶべき鍼灸
・4種の鍼灸治療ー鍼灸治療の不都合な真実
・鍼灸師が独立するために必要なことー臨床だけできればいいのか?
・私心のなくし方ー学校では教えてくれないこと
・鍼灸師の治療スタイルー職人・教育者・聖人、あなたはどれを目指すか
・鍼灸師を目指す人へエールーみんな一緒に練習の虫
※以下登場人物略称、宮川先生=M、Chikako=C、Daisuke=D
≪4種の鍼灸治療―鍼灸治療の不都合な真実≫
M「私が長年にわたって鍼灸業界に身を置いて観察してきたところでは、実際に行われている鍼灸治療を以下の4種類に分けることができるのではないか、と考えています。
一つ目は、『思いつき治療』とでも名付けることができるかと思います。
勉強不足で、練習も足りないのに、免許を取ったからという流れで開業してしまうことがあります。度胸がある人です。勉強したくない人は、技術もこれぐらいでいいやと早々に見切り発車してしまうのかもしれません。
特効穴治療、反応点治療と言われるものも、こちらに属するものが少なくありません。
【利点】あんまり勉強しなくてもよい。
【悪点】成功する確率が低い。」
C「先生、いきなり衝撃的で不都合な真実を公開しましたね(笑)。
でも、開業したての鍼灸師は、かなりの割合でこの種の治療をせざるを得ないのではないでしょうか?」
M「そうですね。私が言いたいのは、そこからの成長が必要だということなんですよ。
『思いつき治療』には、合理的な根拠がない。あるいは誤った根拠にもとづき、それを自覚せずに、気づかないうちに、断定・確信してしまうこころのはたらきがある。そのことを自覚して、合理的な根拠に基づく治療に進化させていくことが必要なのです。」
C「本当に耳が痛い話ですが、その通りですね。」
M「次にくるのは、『見当づけ治療』です。
少し経験をつめば、『見当づけ』で治療をするようになります。『見当づけ』が上手な人は、治療が上達します。ただし、自分勝手な『見当づけ』だけでは自己流です。自分の限られた経験や直感を頼りに、深く考えずに、素早く判断してしまうことが『見当づけ』だからです。
【利点】あんまり勉強しなくてもよい。自己流ができる。
【悪点】見当づけが上手い人以外は、成功しない。」
C「引き続き、耳の痛い話ですね。」
M「はい、心して聞いてくださいよ。
このような新人鍼灸師が陥りがちな『思いつき治療』、『見当づけ治療』を回避するために、3番目にくるのが『レシピの治療(日本版)』です。
『レシピの治療』は、ある程度の学問化がされた上、どのような施術をするべきなのかという術式が定まっています。開発者の英知が込められているので、実際の治療現場において有効性が高いのが特徴です。この下位分類として、4番目にくるのが『レシピの治療(中医版)』です。
『レシピの治療(日本版)』に属するのは、日本の〇〇流、△△式の治療のように定式化された治療です。『レシピの治療(中医版)』と比較すると、診察にしろ、施術にしろ、手先に頼る頻度が高いのが特徴です。
【利点】知識量がほどほどなので、勉強もほどほどでよい。細かな技術がある。最初はマネするだけで、自分で工夫しなくてよい。
【悪点】マネするのが癖になると、自分で工夫しなくなり、伸びなくなる。」
C「先生、知識量がほどほどでよいって本当ですか?私たちが参加した、●●会や××式のセミナーでは、何年かかってもマスターできなさそうな知識量が要求されていましたよ。」
M「それは、●●会や××式は、『レシピの治療(中医版)』や現代医療分野の知識と掛け合わせたレシピが開発され続けているからですね。
それで、4番目にくるのが『レシピの治療(中医版)』です。
手先に頼れば主観的になりやすいので、中医学では客観性を重視します。触診よりも、問診や舌診、脈診を重視する。できるだけ客観的なデータを集めて、それに基づいた証を定めて、定式化された施術をする。そうすれば、何が効いて、何が効かなかったのか、明確になる。限られた才能の持ち主だけができるような治療ではなく、誰でもしっかりと勉強して手法を身につけさえすれば治療ができて、その効果を検証できるのです。
きちんと学び、手順通りに診察し、診断し、そのうえで施術するという一連の流れを学問にしたのが『レシピの治療(中医版)』です。」
D「そのように説明されると、多くの鍼灸学生がやるべきことが明確になりますね。」
M「そうですね。学生時代から勘違いしたままにならないようにしてほしいんです。
センスがある人、見当づけが上手い人は、名人を目指す道を選んでもらってよいでしょう。それは、既に言ったように選ばれた少数派の人にしか当てはまらないと思います。
そうでない人は、『レシピの治療(日本版)』か『レシピの治療(中医版)』のどちらかを選びましょう。
そうしたら、早くからレシピを参考にすればいいのです。私が鍼灸師を目指した頃とは違って、今は鍼灸治療のテキストが数多く出回っています。それらを丁寧に読んで、それぞれのレシピを身につければよいのです。
さらに、以前なら考えられなかったような懇切丁寧な実技に関わる動画も出回っていますから、長年にわたって鍼を持たせてもらえないような修行時代を強いられることもありません。ある意味では、直接教わらなくても、テキストや動画でしっかりと勉強できる人は自分の努力でなんともなります。」
C「一人前の鍼灸師になるための、入り口のところで勘違いしたままにならないようにすることが、とても大事だということですね。
主観を頼りにして、勝手な見当づけをして、深く考えずに素早く判断するのが名人芸であると思い込んでしまう残念な鍼灸師にならないようにしたいと思いますが、その他にも私たち新人鍼灸師が心しておくべきことはありますか?」
≪鍼灸師が独立するために必要なこと―臨床だけできればいいのか?≫
M「そうですね。ここまでさんざん、鍼灸の治療のことについて述べてきましたが、鍼灸師に求められる能力はそれだけではありません。鍼灸師は治療家であると同時に経営者としてのセンスも問われます。そのことについてもお話させてください。
鍼灸院を経営するには、【治療力+臨床力+経営力】の3つの柱がカギになります。
肉親が鍼灸院を経営しているか、住み込みの弟子なら【治療力+臨床力+経営力】を、毎日の生活の中で学ぶことができます。
通いの弟子・従業員なら【治療力+臨床力】を治療院の中で学ぶことができます。
学校で教えてもらえるのは【治療力】だけです。もし、卒業してすぐ開業して上手くいくとしたら、次のようなことが考えられます。
① 一定の治療力がある。
② 臨床向きの人(度胸がすわっている・こわいもの知らず)。
③ 経営のセンスがある人。
④ 経営のセンスは無いが、経営のセンスがある人に助けてもらえる。
⑤ 運がよい。
通いの弟子・従業員であれば、臨床の現場に入りますから、臨床力を学ぶことができます。何年かして独立して上手くいく人は、上記の③・④・⑤が条件になるでしょう。
肉親が鍼灸院を経営していたり、住み込みの弟子が独立するという道筋で鍼灸院経営をすることになる人は、⑤ 運が良い、という条件だけで済みますね。」
D「運も実力のうちともいいますが、すごく大事な条件ですね。」
M「そして実は、本当の意味で鍼灸師として立つためには、【治療力+臨床力+経営力】だけでは足りません。医古典である『千金方』で言われているように【慈しみ+無私】の【こころ】が必要になります。
要するに、能力があっても、やる気がなければ、その能力は発揮されないのです。アスリートの現役引退は、まさにそれです。能力が特別に落ちたわけでないから、まだできるはずなのですが、気持ちが奮い立たないのないのだろうと思います。
鍼灸師でも同じように【治療力+臨床力+経営力】だけではなく、【奮い立つ心】が必要です。それを『千金方』は【慈しみ+無私】の心だと言っているのです。」
D「おぉ!いよいよ、古典研究者としての宮川先生ならではの【こころ】に関わるお話しの展開ですか?」
M「いや、本格的な展開は拙著『鍼灸師のタマゴに贈る養心のすすめ』を読んでいただきましょう。ここでは、ほんのさわりだけお話しします。
『千金方』太医精誠は、医療者には【慈しみの心】と【無私の心がまえ】が必要だと言っています。『素問』上古天真論を出発点とすると、『老子』で言われている【道の慈しみ】と【無私の心がまえ】を考えざるをえないのです。慈しみの心があって、それに無私であれば、慈しみの行動(【治療力+臨床力+経営力】)が発揮されるのです。
では、【無私】とは何か。ここでは、【無私】=【無私心】と考えてもらいます。鍼灸治療という実践の医学において、【無私】は非常に大事なことです。
実践の医学は、実はスポーツによく似ています。
アスリートは、【無私】でないと実践でうまくいきません。アスリートの【私心】とは、勝ちたい、負けたくない、うまくやりたい、失敗したくない、苦手意識、相手を甘くみる、舞い上がった気持ち、緊張した気持ち、周りのプレッシャーを感じていること、等々。
私は、20年以上テニスクラブに入っています。お互いにストローク練習で、2列になって打ち合うことは何とかできても、3列になると急に下手になります。狭くなったことを意識しすぎて、プレーに集中できないのです。また、上手く打とうとするとうまくいかず、決めようという意識が強すぎると決められない、という経験も何度となくしています。技術にとって、【私心】はやっかいなしろものなのです。
鍼灸治療も同じです。【私心】がある人は、技術があったとしても、実践(臨床)ではうまくいかないことがあります。要するに、鍼灸術を身につけていても、鍼灸学を良く学んだ人でも、【私心】があれば、実践(臨床)はうまくいきません。
思ったことが、ダイレクトに行動にむすびつかなければいけません。しかも、直観と直感とが働いた無意識で自動的に正確かつ自然にできることが、【無私】の状態です。この状態を『霊枢』九鍼十二原篇では「間に髪を入れず」という表現をしています。【私心】が介在してしまうと、タイムラグが生じて不自然で意識的な誤りやすい行動(身体の使い方)になりがちです。
鍼灸治療には、施術者の身体がどうしても介在します。治療には、診察・診断・施術が含まれますが、それぞれの段階すべてにおいて【私心】を介在させずに行うことは、大変なことなのです。
こうしたことを総合的に考えると、鍼灸の道が険しいことがわかると思います。免許をとってから、学校を卒業してからと、自分のやるべきことを後回しにしているようでは、ダメです。思い立ったら吉日。いますぐ、できるものから、やっていくということが大事になります。」
D「分かりました。今からでも後回し癖を治せるよう努力します…
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるとおり、好きだ!面白そうだ!という気持ちがあれば後回しにせずに済むかもしれませんね。」
M「そこが実は落とし穴です。
好きということは、反対に嫌いなこともあるということです。ものすごく好きなのは、いつかものすごく嫌いなことに変わることがあります。結婚の後に離婚がくることは良い例でしょう。
面白そうという気持ちは、反対の面白くないという心がでてくる可能性を含んでいます。いつか面白くない、飽きたと言い出します。
好きでも嫌いでもない、淡々と取り組む状態が【私心】がない状態で、一番長持ちするようです。
ちぎり絵で有名な山下清に、甥に『なんでそんなに小さくちぎるの?』と問われて『そう決まっているんだ』と答えたそうです。興味深い問答です。
鍼灸学生のみなさんは、刺鍼・施灸さえ上手くなればと思っているうちは、【私心】があるのでなかなか上手くなりません。また、刺鍼・施灸=治療と思っている間は、いつまでたっても使いものになりません。
この状態で卒業してしまったら、なかなか修正がききません。だからこそ、学生時代に【私心】をなくすことを目指す姿勢を身につけてほしいのです。」
≪私心のなくし方―学校では教えてくれないこと≫
C「先生、そうはいっても学校ではそんなことを教えてくれませんよ。どうすればいいんですか?」
M「そうですねぇ。問題解決としては、2通りあると思います。
一つは、自らの努力で【私心】が入らないような工夫をすること。
もう一つは、【私心】が入ることは変えられないという前提で、入った【私心】を取り除くような機会をもつようにすることです。
いずれにせよ、修行が求められることになりますね。
鍼灸の道を歩み始める学校で教えてもらえるのが治療力だけ、とは言ったものの、現実的には教えてもらっていないのに等しいかもしれませんね。免許が無ければ前に進めないのですから、国家試験突破のための勉強を優先し、治療力の養成を後回しにするのは順当なことかもしれません。
そうだとすると、治療力をあげる対策として考えられるのは、以下の3つになるでしょう。
- 資格を取ってから、就職する・見習いをする。
- 在学中・卒後に講習会に参加する。
- 独学する。
なかでも、個人的には、独学をおすすめします。なぜなら、先ほども話したように、読むことのできる参考書はたくさんあるし、動画も山ほど公開されているからです。今の時代に生きる皆さんには、独学の道が開けているのです。
つまり、在学中にしろ、卒後にしろ、自分の努力で技術力を高め、臨床力をつけることができるのです。
ただし、ここにも【こころ】の問題があります。【私心】が行動の邪魔をするのです。
勉強したい→私心→勉強しない
練習したい→私心→練習しない
この構造に、はっとしない人は心がけが悪い。【無私】になれない(笑)。
遊びたい、ゲームしたい、食べたい、飲みたい、疲れたので横になりたい、等々。次から次へと私心がわきあがってきます。独学は、私心を自分でコントロールしなければならないので、意外と難しいのです。」
D「本当にそうですね。だからこそ、皆さん講習会などに参加して勉強するんですよね(笑)。」
M「そうそう(笑)。分かってはいてもなかなか一人では行動に移せない。独学には色んな条件が必要になる。
だから、ここで言っているような私心を乗り切るのに必要なのが【慈しみの心】なのです。では、どうしたら【慈しみの心】が醸成されるのか。ここでも、3つの道筋があると思います。
①【鍼灸で病気を治してもらったから、鍼灸で恩返ししたい】という動機をもつ。
こうした動機に基づいて鍼灸界に参入した先人は少なくありません。自分自身が不治の病に苦しみ、鍼灸治療によって命を救われた経験をもつ名人たちの話は、鍼灸学校でも聞いたことがあるでしょう。
そこまで極端でなくても、鍼灸によって健康を取り戻すことができたから、その素晴らしさを他の人にも経験してほしいという気持ちをもって鍼灸学校に入学する人は少なくないはずです。その初心を忘れないで育めばよいと思います。
②【慈しみの心】に富んだ集団の中で醸成される。
『論語』には「えらんで仁に処らずんば」(仁の中を選べるのに、なぜ仁の外に居るのか)という文言があります。【慈しみの心】に富んだ集団を見つけて、その中に飛び込むことによって自然に自分の心が醸成されるという道筋があります。
ただし、自分の生き方として目標とすべきモデルになるような集団を見つけること自体が、とても難しいことなのかもしれません。
③【慈しみの心】に富んだ人に感化される。
②は集団ですが、③は個人と考えてもらって良いでしょう。
師の薫陶を受けるという言い方がありますが、それは文字通りには香をたいて薫りをしみこませることと、粘土をこねて形を整えて陶器を作ることに擬えて、素晴らしい教えを受けることを表現していますね。ある人に親しく接して、感化を受けることを親炙(親しく炙らる)とも言います。
そうすると、師を見つけて弟子入りするという時代錯誤な道しかないのか、という絶望的な気持ちになる人もいるかもしれませんが、必ずしもそうとは言えません。心ひそかに、ある人を自分の師と考え、尊敬して模範とすることを【私淑する】と言います。実は、直接的に弟子入りすることができなくても【私淑する】ことは可能です。
既に何度もお話ししているように、今の時代は、多くの秘伝書を含む鍼灸書を誰でも読むことができるようになったのです。自宅からオンラインで秘伝書を読むことも可能です。
これは、鍼灸の歴史の中でも画期的なことです。江戸時代であれば、師匠に弟子入りしなければならず、弟子入りするのにも多くの関門があり、弟子になった後も、簡単には秘伝書など見せてももらえないのが当たり前だったのですから。
私たちはこのような民主的な世の中に生きている利点を、もっと意識して活用するべきではないでしょうか」
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