皆様こんにちは。
気温の乱高下に揺れた2月ももう終わりに近づいておりますが、体調はいかがでしょうか?
さて、今回はまず以下の文章をご覧ください。
「まずはじめに、病気とは何かについて見方をはっきりさせよう。―すべての病気は、その経過のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復の過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではないのである。つまり、病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力のあらわれであり、それは何週間も何か月も、ときには何年も前から気づかれずに始まって、このように進んできた以前からの過程の、そのときどきの結果として現れたのが病気という現象なのである。」
これは誰の文章だと思いますか? 人間は自然治癒力をもっているという東洋医学っぽい考え方ですよね? 病気になるということは、身体がなるべくしてなっている状態であって、病気によって身体を治癒させようとしているのだ、という話なんですよ。ちょっとわかりにくいけど。
この文章を読んで、私の脳裏に浮かんだのは野口晴哉著『風邪の効用』(ちくま文庫、2003年)。知る人ぞ知る整体指導者で野口体操の創始者である野口晴哉氏が1962年に出版した本をもとにしたリバイバル版。風邪は「万病のもと」と脅かされているために、自然に経過することを忘れて、治さねばならないものと思い込んで、風邪をひくような身体の偏りを正すべきなのを無視してしまうのはよくない!という趣旨に基づいた風邪への向き合い方指南書です。多くの人は、風邪をひくような偏った疲労を潜在させる生活を改めないで、風邪を途中で中断してしまうようなことばかり繰り返しているから、いつまでも身体が丈夫にならないといいます。そう考えると、風邪への向き合い方、変わる気がしませんか?しっかりと熱を出して、汗をかいて、その後は、新しい身体を手に入れる感覚なしに、早々に風邪薬で症状を抑えてしまう治療法は、本当のところで、身体のためになっていないのかもしれない。ウイズコロナ時代を生きる私たちの耳にいたい話です。
おっと。寄り道が長くなりましたが、本題に戻りましょう。
実は上の引用文は、近代看護の母といわれるナイチンゲールが書いた『看護覚え書』(1860年)冒頭部分なんです!『看護覚え書』は、今でも看護師を目指す人にとっては必読書といわれる古典。その冒頭が、現代医療を根本から問い直すような尖った病気観!私は、本当にびっくりしました。ナイチンゲールって、そんなにアヴァンギャルドな人だったのか?! いや、本当にそうだったんですよ~。栗原康著『超人ナイチンゲール』(医学書院、2023年)を読んで、私は即ナイチンゲール・ファンになりました(笑)。小学校の図書館にある『伝記ナイチンゲール』からは、ちっとも伝わってこなかったナイチンゲールの魅力があふれでた本です。栗原さんのしゃべっているような文章もたぶんに影響しているんでしょうけど。
そして、このような「病気観」だけではなく、ナイチンゲールはさらに過激な考え方をもっていたという事実。ナイチンゲール自身の言葉によると「病院というものはあくまでも文明の途中のひとつの段階を示しているにすぎない」(1876年)という「脱病院化社会」を理想とする考え方。栗原さんの表現によれば、「病院」を前提とすることで当たり前になっている治療する側と治療される側の垣根をこえようとする意思をもっていたということなんです。看護は、集団的な生の表現であり、近代的な個人の生を飛び越えるものだという信念があったんです。
つまり、看護の近代化を押し進めただけでなく、その限界をしっかりと見極めていて、その先にある看護の未来ビジョンをコミュニティ看護と喝破していたというわけなんです。なんてアヴァンギャルドなんでしょう!
「看護はひとつの芸術(an art)であり、それは実際的かつ科学的な、系統だった訓練を必要とする芸術である」
By ナイチンゲール「看護婦の訓練と病人の看護」
ナイチンゲールは、近代的な学問の基礎となる統計学を駆使して英国陸軍の医療改革を押し進め、高度な医療を学んだ看護のスペシャリストとして後進を教育できる本格的看護訓練学校をつくった人物としての側面ばかりが、注目されがち。
でも、ナイチンゲールが本当に目指したものは、そうではなかったんですね。なんと、現在ではふつうのことになっている看護師の国家登録制度にも大反対したんですってよ!全国統一試験をやって合格者に看護師の資格を与えるということは、逆にいうと国家に公認されなければ看護師として認めない、ということになるからなんです。国家登録制度になることによって、看護師にとって一番大事なことが損なわれることを危惧したと言われています。
それは何だと思いますか?ずばり、ケアの精神=心です。国家による/権力による支配のないケアを実現することが、本当に大事だとナイチンゲールは考えていたんです。ああ! なんて崇高な精神なんでしょう! そして、マジ、アヴァンギャルド。
しかし、何を隠そう! この言葉を見た時に、VidaSanaの私たちは、懐かしい想いに捕らわれました。私たちが卒業した鍼灸学校=東京衛生学園専門学校の校舎の壁には、以下のような建学の精神が書かれています。横浜方面から大森駅に向かう京浜東北線の中からも見えますので、機会がある方はぜひ確認してみてください。
「われわれの学ぶ技術は 芸術であり 科学であり 職業でもある」
ケアの心にあふれている人たちがたどり着く考え方は、洋の東西を問わない真理なのだと思います。鍼灸師もケアの心で日々、患者さんと向き合っております。天のナイチンゲールさんも、鍼灸師のことを真の仲間と思ってくれているはず。そんな励ましをもらった本=『超人 ナイチンゲール』。激推しです!
さて、今回はナイチンゲールの紹介とともに、皆さんの初春で乱れた身体を整える苦味をふんだんに使った薬膳の紹介です。
急に暖かくなってくるこの時期、身体の熱を冷ますことができる苦味。
苦味といえば、春菊、ピーマン、ゴーヤ、ふきのとう、木の芽などなど。VidaSanaが激推しする日本酒のあてに「ふきのとう味噌」(秋田弁ではバッケ味噌と言います)や木の芽のてんぷらは、本当に最高!(美味しすぎて飲みすぎ注意!)
今回はこの時期手に入りやすい春菊とブロッコリーを使ったメニューをご紹介しましょう。
といいながら、今回はVidaSanaオリジナルレシピではなく、これまた推しのレシピ本『からだと心を整える食薬スープ』(PHP研究所、2022年)からの紹介になります。しっかりと薬膳の理論に則った上で、簡単に作れるすぐれものレシピ。ぜひ、お試しください。
寒い時期が終わり始め、暖かくなると陽気が上がって、身体の上部に症状が出やすくなります。花粉症や春の頭痛もこのためです。というような記事を毎年、ブログに書いてしまいますが、それはVidaSanaの二人とも花粉症に悩まされているからでもあります。
皆さまも苦味を食べて余計な熱をすっきりさせましょう!
それでは、健やかに春が迎えられますように。