【モンゴル日誌】①モンゴル初上陸! モンゴルの伝統医療にせまる旅

 皆さま、こんにちは!
 突然ですが、Vida Sanaモンゴル初上陸しました!

チンギス・ハーン空港

 また始まったよ、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。何人かの患者さんにはお伝えしましたが、今回VidaSanaがモンゴルへ降り立ったのは、もちろん単なる観光が目的ではありません。モンゴルで行われている伝統医療について学ぶことです。
 その一つがモンゴルで薬用として使われるハーブについて知ること、もう一つがモンゴルの伝統医療の現場を見学すること。この二つの条件を備えたツアーに参加してきました! 
 主催は一般社団法人 和ハーブ協会という日本の薬草を紹介する講座を定期的に開いている団体で、今回はモンゴル出張の特別会。モンゴルの大草原でハーブを探索し、ハーブ医療の現場を見学、モンゴルシャーマンとも対面するという5泊6日の講座でした。

 旅の前半はテレルジ国立公園の中で遊牧民が暮らすゲルをツーリスト向けにした施設で過ごし、後半はウランバートルの街中で過ごすというモンゴルを俯瞰できるツアーでした。
 この機会に北アジアの伝統医療風景を見に行かねばならない! Chikakoのセンサーが働き、即決で参加を決めました(笑)。

 今回の旅を前に、改めてモンゴルについて調べました。
 モンゴルは人口約360万人(横浜市より少ない!)、面積は156万㎡と日本の4倍。大陸性気候で、夏は暑く乾燥し、冬は非常に寒いのが特徴。実際に訪問したのは6月でしたが、最高気温は30℃前後、最低気温は15℃前後。日中は現在の日本並みの気温ですが乾燥しており、汗をあまりかかずにすみました。また前半で過ごした草原は夜間の冷え込みが激しく、暖炉に火を入れてもらって温かく過ごさせてもらうほどでした。
 その国土は約70%以上が草原で、遊牧に適した土地で、北部にはタイガと呼ばれる針葉樹林帯、南部には広大なゴビ砂漠が広がっています。平均標高が1580mでいわゆる高原地帯に位置し、VidaSanaが降り立ったチンギス・ハーン空港も標高は1300mで少し運動すると酸素が足りなくなるのを感じました。

 モンゴルを語るのには、なんといっても英雄チンギス・ハーンを外すことができません。モンゴル人の民族的誇りの源泉といってよいでしょう。
 チンギス・ハーンの人生については、人気作家・北方謙三が『チンギス紀』全17巻で2018-2023年の間に書き切りました。史実として記録されていない謎の部分については、北方氏の想像力によって創造された一代記なのですが、稀有な英雄の一生だけでなく、彼を取り巻いた魅力的な人物の生きざまが丁寧に描かれていて、ぐいぐいと物語に引き込まれました。そのおかげで、モンゴルに行く前の3か月間で読破!いやー長かったけど、やりきった!
 北方謙三の『チンギス紀』についてはブログ一つ分を使って語りたいところですが、VidaSanaブログの趣旨としてはどうかと思われるので、ごく簡単に紹介しますね。
 主人公はもちろん後のチンギス・ハーンであるテムジン。ハーンには王様の意味があり、元寇で有名なフビライ・ハーンにも同様のハーンの称号が使われているのはそのためです。フビライは、チンギスにとっては孫にあたります。『チンギス紀』には、残念ながらフビライは登場しませんが、なんと現在、北方謙三は元寇の時代を描く『森羅記』を月刊文芸誌に連載中!すごいです、御年77歳の北方氏の執筆意欲!
 物語はテムジンが13歳のときからスタートします。バラバラだったモンゴル族をまとめ上げ、周りの諸部族との闘いによって大モンゴル帝国を作るのですが、さすがハードボイルドの巨匠:北方謙三が書くだけあって、その戦闘シーンや政治的駆け引きの生々しさがぐっと伝わってきます。歴史的には、その後の大航海時代に続くグローバリゼーションの幕開けを思わせる壮大な歴史物語。

 チンギスが作り上げ、最大で現在のチベット、中東、ウクライナまで勢力下に治めることになる大モンゴル帝国は、栄枯盛衰によって次第に縮小していき、17世紀には清王朝の配下となり、現在の内モンゴル・外モンゴルにつながる流れができました。20世紀には外モンゴルはソビエト連邦の支援を受けて社会主義革命政権が誕生、内モンゴルは中華人民共和国の影響が強まりました。その後、外モンゴルはソビエト連邦崩壊により民主化、内モンゴルには多くの漢民族が流入し中国の内モンゴル自治区となりました。

Webサイト「世界の歴史まっぷ」より

 モンゴルの人々が使う言語はもちろんモンゴル語なのですが、公的な文字はロシア語と同じキリル文字を使っています。そのため、キリル文字が読めないと街中の看板に何が書いてあるかわかりません。しかも、キリル文字が読めたとしてもモンゴル語での意味がわからないと、何がかいてあるか全くわからないということになっています。漢字が読めたとしても、中国語の看板の意味がわからないのと似てますね。

「おーいお茶」の宣伝が!

 モンゴルにはもともと文字の文化はなく、チンギスが大モンゴル帝国を作るまでは伝承や教えはすべて口伝だったとされます。チンギス以降はウイグル文字を基にモンゴル語を書き表す縦書きのモンゴル文字が制定されました。日本語の書き文字が成立する過程で漢字で音を現した万葉仮名が使われたように、モンゴル語の音に文字をあてたそうです。そんなところも、日本と親近感がわきますね。21世紀の世界を見渡して、縦書きで文字を記す数少ない仲間の民族です。書道がさまになるのは、やっぱり縦書きだからですよね。

 モンゴル語は日本語と同じウラル・アルタイ語族に属しますので、文法的な構造は英語のようなSVOではなくSOV。私(S)学校(O)行く(V)ですね。そのため、日本人が比較的覚えやすいとされますが、難解なのはその発音。短母音と長母音があるだけでなく、子音には破裂音、摩擦音、破擦音、鼻音など日本語にない音が多岐に渡り存在し、カタカナでモンゴル語の発音を正確に表すのは不可能です。
 実際、モンゴル語で基本的な挨拶や必須単語を覚えようと試みたのですが、無理でした。昨今、便利なアプリで発音練習もできるのですが、生半可にマスターできる発音ではないことが身に染みて分かります。お世話になった現地ガイドさんの名前さえ、正確に発音はできませんでした。唯一覚えた挨拶が「サインバイノー(こんにちは)」だったのですが、実際に音声を聴いたら、このカタカナ表記は正確とはいえないことが分かると思います。
 さらに、モンゴル語の衝撃は続きます。Chikakoとしては、訪問国の人々に対して最低限の挨拶は現地語でしたいと考えて、「ありがとう」に相当する単語を『初めて学ぶモンゴル語』的なテキストで探したのですが、全然出てこないのです。欧米言語のテキストだったら、真っ先に出てくるはずの「ありがとう」がない!
 その謎は、モンゴル語専門家の解説によって分かりました。実は、英語のThank youに相当するような言葉は全く存在しないわけではない。ただ、その言葉はモンゴル人にとってひどく使い心地が悪い。日常の何気ない好意に満ちた行為に対して、わざわざ何か言葉でお礼をすること自体、大げさな感じ。お礼を言葉で伝えるよりも、何かしてもらったことを覚えていて、何かあれば、自分もその人のためにお返しする。相互扶助の意識が深いところで生きている社会なんです。
 ああ、そんな感じなんだ…アジアの村社会的感覚をもってすれば理解できる。しかし、世知辛い現代社会に慣れっこになっている私たちは、そんな悠長なことを言ってられない。悲しいかな、グローバル社会。
 もっとも、振り返ってみれば、現代日本語で「ありがとう」というようになったのも、非日本語話者との接触が大きかったのではないかと思われます。Chikakoが故郷の秋田で耳にしていた地元のおばあちゃんたちの会話では「ありがたい」というよりも「すまない」というニュアンスの方言が多用されていた記憶があります。武士風にいえば「かたじけない」。明治期から日本語の標準語化が進む中で、「ありがとう」が普及したのだと推測できます。
 そういうわけで、勝手な文化的思い込みはさておいて、外国人らしく「Thank you」という以外ないという結論に達しました。

 さて、VidaSanaとしては、外せない食事事情はどうか。遊牧民の歴史からして肉食が中心。羊と牛の肉を中心として、野菜はほぼ食べません。ビタミン・ミネラル類は家畜が自生のハーブ類を食べた身体に蓄積され、その身体を余すところなく丸ごとをいただくので必要な栄養が補われているとのこと。
 モンゴル人にとっては、羊なくして栄養なし!病院での入院食でも羊でだしをとったスープと薬湯で過ごすそうです。日本人には厳しい入院食かも…

スーパーでは肉がこの塊でドドン!

 もともと農業に適した土地ではないため、パンやご飯を食べる文化は現代以降に一般化したようです。清朝時代に入植してきた中国人がモンゴルの土地を農業用に開墾しようとしたところ、砂漠化が進んでしまったという話もあるほど。現在も野菜や果物のほとんどは輸入しており、中国よりもロシアや欧州から入ってくる野菜が多いとのこと。

 モンゴルと日本の間には経済連携協定が2016年に締結され関税が撤廃されているため、スーパーには日本からの輸入品も数多く並んでいました。

スーパーには日本産米がズラリ

 皆さま、スーパーの値段にも興味ありますよね。現地通貨はトゥグルグ。1円あたり23~25トゥグルグ、つまり100円で約2500トゥグルグ、1万円で約25万トゥグルグなんだか一気にお金持ちになった気がします。
 しかし、物価的にはそこまで大きな差があるわけではありません。ジュース一本が3000~5000トゥグルグ程度、日本円では120円~200円。地元民が買い物するコンビニでも同程度の値段でしたので、観光客価格ではありません。

コンビニにはおにぎりが! 3900トゥグルグなので約160円程度。
スーパー内の軽食屋さん。これは、おでん?

 さて、モンゴルについての基本情報の共有はこんなところで終わりにして、次回からモンゴル伝統医療についてお伝えできればと思います。
 それでは、モンゴル滞在記の続きを乞うご期待!

テレルジ国立公園では、馬が当たり前に駆けていました。

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