『北米東洋医学雑誌(NAJOM)』という宝物~追悼:首藤傳明先生

 皆さま、いかがおすごしですか?この2月8日には私どもが住んでいるつくば市が1984年ぶりに真冬日となりました。そう、首都圏近辺が珍しく雪景色に包まれた寒い一日でした。子どものみならず、雪が珍しい国出身の方々が喜んでいましたね。

 そうかと思うと、最高気温が10度以上まで上がる日が来るという身体にとっては寒暖差が厳しい時期に突入しましたね。立春がやってきました!寒さが和らぐのは嬉しいというのは一般的な感覚ですが、実は、東洋医学的には春は調子を整えるのが難しい時期。朝が苦手な人が多いのと同じ論理なんです。陰(夜/冬)から陽(朝/春)に切り替わる身体には負担がかかるんです。

 まあ、しかし、春! という響きが人をウキウキさせますよね。そう、筑波山梅林は恒例の「梅祭り」も始まりました!見てください、可愛らしい梅の花を!梅は花も薫り高くて好きですが、実も梅酒になったり梅干しになったりして、本当に人間を楽しませてくれますよね。ありがたい!

 そんな2月初旬、日本伝統鍼灸学会には激震が走りました。経絡治療のレジェンドである首藤傳明先生が94歳でこの世を旅立たれたのです。首藤先生は、2001~2008年にわたって第四代の日本伝統鍼灸学会会長を務められ、亡くなる直前まで現役の鍼灸師として大分の治療院で臨床に携わってきた名人。というか、もはや聖人。治療院に掲げられているモットー「忘己利他」に則って鍼灸界に貢献していらっしゃいました。

 ご著書の『経絡治療のすすめ』(医道の日本社、1983年)、『超旋刺と臨床のツボ』(医道の日本社、2009年)などが、英語訳され海外でもセミナー実施や講演をなさったこともあり、海外で日本鍼灸を実践しているセラピストの間で知らない人はいない著名鍼灸師です。

 VidaSanaは学会にオンラインで首藤先生が登壇されたのを拝見したことはありますが、実際にお目にかかる機会はありませんでした。しかし、日本伝統鍼灸に関わる人々の間で首藤先生のプレゼンスは至る所でビシバシ感じられました。

 Chikakoが初めてオンラインで首藤先生を拝見したのは、2019年4月27~29日、カナダ・バンクーバーにて開催された「北米東洋医学誌(NAJOM)創刊25周年記念大会」。同大会はChikakoにとって天啓ともいえる学びの機会でした。日本鍼灸を世界に普及させるために活躍なさっている著名な先生方のセミナーやデモンストレーションが目白押しという瞠目の3日間。鍼灸学校の先生曰く「これだけの多様なバックグラウンドの先生たちが一同に介した日本鍼灸セミナーは前代未聞」。何を置いても参加しなくては!と気持ちが逸りました。

 『北米東洋医学誌』(NAJOM:North American Journal of Oriental Medicine)の創刊は1994年。バンクーバーを拠点として鍼灸師として活躍する水谷潤治先生が創刊者の一人。水谷先生は1983年に日本鍼灸理療専門学校を卒業後、カナダ・トロントに移り吉川指圧学校で研究を重ねるとともに、指圧スクール・オブ・カナダで東洋医学講座を担当。オンタリオ州指圧協会で三年間会長を務めた。その後、新境地を求めて1992年にバンクーバーに移った経歴を持つ。NAJOM創刊号の水谷先生による巻頭言では、自身が鍼灸師を目指すことになったきっかけが美しい詩のような描写で記されています。少し長めの引用になりますが、水谷先生の文章をお楽しみください。

「1979年の夏、ネバダ・シティーの山中に私は一泊した。森の中のキャビンを探し当て、私が訪問したのは、ゲリー・シュナイダーと言う詩人だった。その夜、彼は私を彼の禅堂の裏の空き地に連れていき、ゴザ一枚のベッドを私に提供してくれたのだった。ゴザのベッドは、大地の温もりを私の身体にしみ込ませた。土の硬さが気持ちよく、満天の星を仰いで、木立を抜けてくる月の光のシャワーを浴びると、私の身体は、自由に宇宙遊泳をしているようだった。 宇宙に飛び出した胎児の様な感覚に包まれたが、背中の暖かさが母親の胎盤とつながる、へその尾のように感じられ、安心していることができた。
 たった一晩の経験であったが、このときを境にして、私の人生は大きくカーブしていく。ゲリーは私に、宇宙を見せることに成功したのだ。 そして、そのときから私の東洋への彷徨が始まった。もし、彼と出会わなければ、日本人でありながら東洋を知らない、ID無しの東洋人として今も過ごしていたに違いない。
 それから間もなく日本に戻った私は、東洋と接する道を東洋医学に求めた。 鍼灸学校を卒業した私は、自分のIDを確認すべく、再びカナダに移り、治療に精を出してきた。今の私には、日本はゲリー・シュナイダーのところで感じた土の暖かさ、そして北米は自由に泳ぎ回る空間のように思える。十一年間の治療中に、たくさんの先輩や友人、患者さんと巡り会って、私と同じ思いを抱いている人々がいかに多いかを、膚で感じることができた。私は、『北米東洋医学誌』はこの様な人々の同人誌であると思っている。東洋を陰とし、北米を陽とする、陰陽の気が相互扶助して、この機関誌が誕生したのだ。地陰と天陽に加えて、ここに40名の北米人が会して、天人地の三才となった。
『北米東洋医学誌』と言っても、私たちのなかには、東洋も西洋も、北も南もない。あるのは、陰陽のバランスのとれた、健康な身体を作り上げ、健康的な社会の礎を作りあげるために、この機関誌があるという事実です。東洋医療に従事する人々が、広く学術交流し、そして、自分を啓発し磨き上げて行くためのスプリングボードに、この雑誌が成長するように念じるとともに、同人の諸兄に、一層のサポートと寄稿をお願いする次第です」

 NAJOMの初代編集長を務めたのが、スティーブン・ブラウン(Stephen BROWN)先生。彼の存在なしには、NAJOMが最初から英語・日本語のバイリンガル誌として刊行できなかったのではないかと思われる北米鍼灸界の宝。ブラウン先生は、1954年和歌山県生まれ、14歳まで日本滞在。1983年に日本鍼灸理療専門学校卒(奇遇にも水谷先生と同級生)、鍼灸師免許取得。1984年北京中医学院にて研修。1985年呉竹学園の国際鍼灸訓練プログラムで教えるかたわら、芹沢勝助・間中喜雄らに学び、鍼灸関係の翻訳を始めました。1986年米国シアトルに移り、指圧・鍼灸施術のかたわら、鍼灸学校で講師を務めています。現在もシアトルの鍼灸学校Northwest Institute of Oriental Medicineで講師を務めるとともに、日本鍼灸および操体(東洋医学に基づくボディワークの一種)の普及活動に余念がありません。上記大会では、ブラウン先生の流麗な通訳ばかりでなく、首藤傳明先生から直伝の鍼技のデモンストレーションもしてくださりました。

 ブラウン先生による創刊号の編集後記には、NAJOMを取り巻く当時の北米における状況と日本鍼灸の特色が活写されています。それによれば、北米では相当な数にのぼる日本人治療家の大きな貢献にもかかわらず、全国規模の日本系東洋医学の団体又は出版物が無かったそうです。少し引用します。

「この同人誌は、北米の東洋医学の従事者のために発行され、当然、その大多数は白人です。しかし私一人を除いて、発起人は全て日本人で、現在は、日本人が同人の多数を占めています。この様相は、北米東洋医学誌が治療家の間で更に知られ、同人が増えるに従って、逆転することは疑う余地がありませ ん。日本伝統医学も日本人以外がこれを取り入れるにつれて、当然のことながら変容します。北米東洋医学誌はこの進化の過程を追い、かつこれを促す役割を果たします」

 ブラウン先生の予言通り、NAJOM会員は当初40名ほどだったのが、10年後には300名を超えるものとなり、会員はアメリカ大陸のみならず、欧州諸国・イスラエル・豪州などの非日本人に広がっています。これからも、日本鍼灸が世界各地で風土に見合った花を咲かせ続ける拠点としての役割を『北米東洋医学雑誌』が果たし続けていくことを心より期待しております。

 そして、この雑誌のタイトル漢字は首藤先生によるもの!水谷先生たちの志を創刊当初より一貫して支援し続けてきたのが首藤先生なんですね。首藤先生が鬼籍に入られた後も、私たちは『北米東洋医学雑誌』という諸先輩から受け継いだ宝物を大事にしたいものだと強く思います。Chikakoも微力ながら翻訳ボランティアをさせていただいておりますが、そのうち寄稿できるような貢献ができたらいいなぁ、と思っております。

 さて、今回はこのくらいで。
 皆さまにも東洋医学の叡智が降り注いでくれますように。合掌。

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