【カタルーニャ日誌】①スペインなのにスペイン語がない!? ここはカタルーニャ語の世界

 皆様こんにちは。
 Vida Sanaの施術を受けてくださっている皆様にはご報告をしておりましたが、この度、スペイン・カタルーニャ州に行って参りました!!
 まずはこちら、バルセロナの街並みをご覧ください。

バルセロナの中心地の街並みはガウディ建築とともに。そして街中には生ハム屋さんがわんさか!

 やはりヨーロッパは石造りの街並みが一番の観光スポットですね。
 今回のバルセロナ滞在では、一大繁華街ランブラス通り近辺に宿泊しましたが、欧米諸国からの観光客であふれかえっていました。
 京都や富士山だけでなく、オーバーツーリズムは世界的な問題。バルセロナでも観光客が市民生活を圧迫していると、滞在期間中に観光制限を訴えるデモ活動が行われました。
 年間観光客数は約3200万人!2023年は世界第九位の観光客数を誇ります。観光産業が発展しており、街中には観光客向けのスペイン料理屋、お土産物屋がひしめき合っています。

 さてはて、今回なぜスペインを訪れたのかお伝えしなければ、またこいつらは遊んでいるのか!?と思われてしまいますね。
 まあ、遊びも大事なんです。こちらの写真をご覧ください。

フィゲーレスのダリ美術館の様子。

 カタルーニャ州出身のダリの世界観を堪能する旅!ダリ美術館とアトリエである卵の家を訪れました。

 カダケスの卵の家の様子。

 もともとダリには心惹かれるところがあり、行ってみたいと思っていたんですよねー。

 ……いやいや、だから遊び以外に、ちゃんとした鍼灸師としてのミッションがありますよ。

 以前のブログでもお伝えしましたKINSEIKYU®の創始者:フェリップ・カウデット先生はカタルーニャ州タラゴナにて治療院を開業をしています。
 今回はフェリップ先生のもとに押しかけて、Vida SanaがKINSEIKYU®を学びにいってまいりました!
 日本から飛行機でカタール経由の約20時間、長い道のりでしたが、実りの多い旅でした。

 今回のブログから数回にわたって、Vida Sana特別セミナーの様子やバルセロナ近辺に滞在した一週間と先生の治療院近くのタラゴナに滞在した一週間で考えたことなどお伝えしたいと思います。

 セミナーの様子だけお伝えしてもいいのですが、まずVida Sanaが滞在したカタルーニャ州について情報共有をした方が、より深くご理解いただけるのではないかと思っております。

 というのも、カタルーニャ州はスペインの中でも変わった都市だからです。いや、言い方が悪いかもしれません。バスクだってガリシアだってスペインの中でも独自性を誇る土地柄です。一般的に日本人が考えるスペイン・イメージ(?!)に当てはまらないかもしれないという意味です。
 カタルーニャ州の人口は約756万人。スペインの人口が4778万ですから約15%にあたります。GDPはなんとスペイン全体の20%にあたり、ポルトガルやフィンランド一国に相当します。人口的にも経済力的にも一国として成り立ちえるではないですか。
 さらに、文化・言語的にも、本来この地方はスペイン語ではなく、カタルーニャ語が使われてきた地域です。1936年から始まるスペイン内戦+フランシスコ・フランコによる独裁政権により、スペインの地域言語は弾圧を受けました。現在は、バスク語・ガリシア語などとともに、カタルーニャ語も公用語として認められていますが、マドリッドを中心とするカスティーリャ語=スペイン語圏に対しては、複雑な感情が湧き上がるのも当然かと思います。
 タラゴナの街中をフェリップ先生家族と一緒に散策した際には、スペイン内戦時代の砲弾の跡が残る壁が現在も市民によって記念碑的扱いがされていることを指摘されました。ご家族に戦争で命を落とした方もいるそうです。こういう経緯は、日本における沖縄の位置と重なる面があります。明治維新以降の沖縄が文化・言語的に日本の中央政府によって抑圧されてきた歴史です。

タラゴナの慰霊碑(台座側面に銃弾痕有)

 2010年代には政治的気運が高まって、スペインからの独立運動が盛んになり、2017年には中央政権ともめながら独自に州内住民投票が実施され、独立派は過半数の支持を得ました。しかし、いまだにマドリッド中央政権との協議は続いており、完全独立には至っていません。しかし、当然のことですが、カタルーニャ州住民すべてが独立派なわけではなく、自治州としてスペインに残るべきだと考える人もいるようです。
 独立を支持する家庭ではベランダなどにカタルーニャ国旗を掲げており、街中には国旗が多く飾られていました。

カタルーニャ地方・行政機関

 現在カタルーニャ州では、幼稚園から大学まで一貫してカタルーニャ語による教育がされており、カタルーニャ語圏以外から移住した住民に無料でカタルーニャ語を教える機関も用意されているとのこと。私たちが乗ったタクシーの運転手は、スペイン国内から移住してきた方でしたが、2年間にわたってカタルーニャ語クラスで勉強したとのこと。スペイン語が話せても、カタルーニャ語は分からないんです。うちなーぐちで話されると100%理解できない日本人のようなものです。以前バルセロナを訪れた2010年頃までは、ここまでカタルーニャ語にあふれておらず、スペイン語との2言語表記でした。
 この間、独立に対する準備が整えられてきたんだな、という実感を持たされました。そう、たった10年でも政策で変わるんだ!という実感。なかなか日本で生活しているとイメージしにくいかもしれませんね。

 カタルーニャ人曰く、カタルーニャ州は日本に似ているとのこと。
 カタルーニャは地中海に面した土地で、魚介類をよく食し、名物のパエージャには米が使われています。

 左から海鮮パスタのパエージャ、イカ墨パエージャ、貝の酒蒸しです。

 またカタルーニャ人は他のスペイン人と違い、内向的ですぐに友達になることはなく、真面目で勤勉。スペイン経済を支える一翼を担っている自負がある。
 タラゴナの漁師町地区の週末音楽ライブイベントで流れていたのは、どこか悲しげで、日本でいうなら演歌(?!)のような音楽でした。

 スペイン人といえば、みんなパーティピーポーなラテン系のイメージを持つかもしれませんが、カタルーニャ人はその反対のようです。
 だからこそ、街にあふれるパーティピーポーの観光客を許せないんでしょうね。
 バルセロナでは、大麻屋さんが存在しており、個人使用が合法であるため、街中でちょっと違う世界にいらっしゃる人をそこかしこで見かけます。
 そういう人は移民と観光客だという声もありました。

 もともとのカタルーニャ人気質と現在のような多民族・多文化都市バルセロナの間には大きな乖離があることを実感したところです。タラゴナや他のカタルーニャ州の街は、質実剛健という雰囲気がありました。

 タラゴナで生まれ育ったフェリップ先生だからこそ、日本の伝統文化であるお灸にシンパシーを感じ、お灸に人生を捧げるようになったというのは想像ができます。

 フェリップ先生の治療院があるタラゴナの風景。

 皆さんにはスペインのディープな部分を少しでもお伝えできればと思い、今回のブログはカタルーニャについて書かせていただきました。

 次回はKINSEIKYU®について、以前のブログよりもう少し掘り下げてお伝えしたいと思います。

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